#01:学年唯一の東京志望。田舎から自分で道を切り開く。

No.01 自分の存在意義を感じる喜び。ベンチャー企業というキャリアの選択肢。

諏訪さんのインタビュー#01です!
#00はこちら!

ド田舎で育つ

– さて、本メディアでは価値観を深掘りするため、インタビューの際は生い立ちから語って頂いているので、よろしくおねがいします!

超自分語りするってことですね!
もともとお喋り好きなのでめっちゃ長くなっても勘弁して下さいね。笑

僕は山梨県の南巨摩郡という、超ド田舎で生まれ育ちました。
こんなシティボーイかんあふれる見た目してますけど。笑

電車が1時間につき1本しか来ないというとイメージ湧きますかね。
本当に山の中って感じのところです。

そこで中学校まで過ごし、高校は電車で15分位のもう少し都会にある学校に進学しました。

やんちゃなバレーボール少年だった

– どんな少年時代だったんですか?

小学生の頃はいわゆるやんちゃな子供でしたね。

いじめっ子属性で、先生に対してもめっちゃ反抗する扱いにくい子供だったと思います。笑
確か4回位僕が原因となって担任の先生を変えた経験があります。

すでに早めの反抗期でしたね今思うと。

でも、小5のときの先生がめっちゃ馬が合う人で、その人が僕に向き合ってくれて更生したんです。
その後は真面目路線で、小6の時は児童会の会長を務めるまでに更生しました。

この出会いは自分の中で大きかったですね。
**きちんと正面から向き合ってもらった経験は、その後のRettyでの組織づくりなどに大きく活きた経験でした。

諏訪さん写真
諏訪尚杜|Naoto Suwa。東京理科大学在学時より、ベンチャー企業でのインターンシップで高い営業成績を残し、他インターン生のマネジメントを経験。2015年に大学卒業後、新卒で実名型グルメSNS運営会社Retty入社、営業、営業企画を経て、取材時点で責任者として新部署立ち上げを指揮。

– そうだったんですね!そのまま中学も真面目路線だったんですか?

そうでしたね。

実は小学2年生のときからバレーボールをやっていて、中学時代もそれが生活の中心でした。
男子バレーボールってあまり競技人口が多くないこともあって、中学生の頃は県選抜に選ばれた事もあり、かなり打ち込んでいましたね。

なので、高校進学に際して、バレーボールの強豪校にスポーツ推薦で進むかいわゆる普通科の学校を目指すのかで結構悩みました。

将来を見据え、進学校を選択

– 結局どちらを選択したんですか?

最終的に、普通の高校に進む事を決めました。

バレーボール強豪校にスポーツ推薦で進学すると、多分あまり勉強する事なく高校生活を終える可能性が高いなと。
大学には進学したいし、田舎から出て成功したいという思いも漠然と持っていたのでそれなら普通の高校のほうがいいなと。

それで中学の後半は普通に受験勉強をして、家があった南巨摩郡から電車で15分ほどの距離にある学校に進学しました。

田舎の自称進学校みたいなところをイメージしていただけるといいのかな。
偏差値60くらいで、県で1番いいわけではないけど別に悪くもないみたいな。

諏訪さん写真

田舎に収まりたくない。上京したい

– 高校時代はどんな感じだったんですか?

高校でも結局バレーボールに打ち込んでいました。

もともと僕は県選抜でもあった上、進学した当初は結構弱小校だったのですぐにレギュラーになりました。
高校時代を通して部を強くするために、後輩の指導や練習メニューの設計等に熱を上げて取り組みました。

最終的に県大会ベスト16まで引き上げることに成功しました。

振り返ってみてみると、僕にとってはチームをマネージして結果を出したという意味で、後々にも影響する一つの成功体験だったと理解しています。

– なるほど。将来どうするという考えはあったんですか?

今もそうかもわかりませんが、少なくとも当時の僕がいた学校だと、多くの人が地元の大学を志望していました。
上京するという考えを持っている人なんて全然いなくて。
大半の同級生は地元の大学に進み、教師か、公務員か、医者になるというキャリアでした。

知り合いの話とかを聞いていると、多くの田舎町に当てはまる話だと思います。

一方、僕は小学生の頃からバレーボールの遠征で都会を見に行く機会がありました。
そして遠征で東京に行くたびに、ずるいと思っていたんです。

東京に生まれるだけで、山梨で生まれた僕に対してアドバンテージがある。
間違いなく将来社会人になっても差が付きます。
僕はこれが理不尽で嫌だったので、山梨の常識にはまらず、自分で道を切り開きたいと思ったんです。

なので、地元の決まりきったルートに乗って満足しようとしている同級生の事は、めっちゃ冷めた目で見てました。笑
今でこそ、人には向き不向きがあると思いますが、当時はそうは思えなかったんです。

諏訪さん写真

バレーボールに打ち込みすぎて浪人

– 勉強の方はどうだったんですか?

先程言ったとおり、同級生は皆地元の大学を志望していました。
具体的には山梨大学ですね。

東京の大学を志望していたのは当時の同級生だと僕一人だけだったと記憶しています。
みんなが山梨大学を目指して5教科7科目勉強する中、僕だけ東京の私立志望だったので3教科に絞ります。

それでも結局バレーボールに打ち込んだため、勉強と部活が両立できず、結果的に一浪する事になったんです。
浪人を経て、東京理科大学の経営学部に進学が決まり、念願の上京を実現しました。

これでようやく山梨を飛びせる。
自分で道を切り開いて、もっと広い世界でエリートになるぞと身を引き締めました。

この時の、山梨の常識に囚われたくないと思い、自分で道を切り開いた経験も、後々に影響する体験だったと思います。

ちなみに、山梨にいる間はずっと貯金しておき、東京で全部使おうと思っていたので、それもめっちゃ楽しみでした。笑
それだけ地元を飛び出して、広い世界で活躍したいと思っていました。


#00:自分の存在意義を感じる喜び。大企業を蹴って選んだ新卒ベンチャーという選択肢
#01:学年唯一の東京志望。自分で道を切り開く
#02:”XXぽくない”。独自路線に生きがいを見出す
#03:就活無双するも、大手の内定を蹴ってRettyを選んだ理由
#04:挑戦し、結果を出し続ける。僕がベンチャーにハマる理由